「韓国孤児の母」田内千鶴子とは

田内千鶴子さんと木浦共生園

「韓国孤児の母」
田内千鶴子さん

1928年、韓国の木浦でキリスト教の伝道師である尹致浩が7名の子どもたちとともに生活したのが始まり。朝鮮総督府の官吏の一人娘として生まれ、木浦高等学校を卒業した後、教師として在職していた日本人、田内千鶴子と結婚してからは、二人でこの孤児院の運営にあたりました。

千鶴子は朝鮮戦争で夫が行方不明になってからも共生園を守り続け、1968年に56歳で亡くなるまでに3千名余りの韓国孤児を育て上げました。その民族を越えた人間愛は「韓国孤児の母」と敬われ、木浦市は初の市民葬で千鶴子の死を悼んだのです。

現在、韓国では共生園系列の9施設において、約450名の子どもや障害者が温かいケアの下で生活を送っています。
また、千鶴子の生まれ故郷である高知県にはその偉業を称える記念碑が建てられています。

写真左:草創期の共生園(左端が尹致浩)
写真右:ピアノを弾く千鶴子
写真左:園児と共に歌う千鶴子
写真右:千鶴子の死を悼む葬列

愛は国境を越えて  三浦 綾子

千鶴子と家族(次男誕生前、左端 尹基)

…韓国の木浦という所で、一人の人が亡くなりました。その人の葬儀には3万人近い人が駆けつけ、その人田内千鶴子さんのために、心から泣き悲しみました。彼女はほんとうは貧しい主婦でした。いったいどうして、一人の主婦のために、3万人もの人が集まったのでしょう。

…皆さん、「親」という字を書いてみて下さい。「木の上に立って見る」と書きます。子供が遠くまで去っていく姿を、親はいつまでもいつまでも見ています。その姿が見えなくなると、木の上に立って見る。そうした親がいて、人の子は育つのです。その親を失った子供たちにとって、もし千鶴子さんがいなかったらどうなったでしょう。千鶴子さんのキリストにある愛によって、3千人近い孤児たちが今、立派な社会人として生きているのです。…

森山諭著「真珠の詩」序文より



田内千鶴子さん 記念碑「愛のふる里」

高知・記念碑「愛のふる里」

1997年、田内千鶴子さん生誕の地、高知市に建立された記念碑「愛のふる里」。千鶴子さんが育てた孤児の数に因んで、3,000個の石が敷きつめられている。写真右は除幕式の様子



田内千鶴子さんの生涯を描いた映画「愛の黙示録」

田内千鶴子さんの生涯を描いた映画「愛の黙示録」

田内千鶴子さんの生涯を描いた映画「愛の黙示録」。99年、韓国政府が日本大衆文化解禁認可第一号として上映を認可。韓国でも深い感銘を呼び、韓国キリスト教文化大賞映画部門も受章した。小渕総理(当時)もテレビ番組の中で「『愛の黙示録』上映が、これからの日韓文化交流の出発点となったことを喜んでいる」と語り、小渕総理はその後、韓国の木浦共生園に梅の木を贈った。

「愛の黙示録」受賞歴
96年 中央児童福祉審議会「音響・映像部門・厚生大臣賞(児童福祉文化賞)、山路ふみ子福祉、日本映画批評家アジア親善作品賞、日本カトリック映画賞
97年 日本映画批評家大賞
99年 韓国で韓国キリスト教文化大賞映画部門受章
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